第1回(5/18)日本人の起源と倭人の移動

<講演会の開始に先立って>

 1時に開会して、「埼玉県立歴史と民俗の博物館 友の会」の「古代文化を考える会」斉藤亨さんから簡単に講演会の説明があり、今後1回3時間程度の講演会を年4回開催していくことが話されました。途中、「会」の伊藤英明さんから、質問の仕方等についても説明がありました。
 講師紹介の後、佃先生は、自分が歴史研究に取り組むようになった経緯について話されました。有名な「騎馬民族国家説」を提出された江上波夫先生が亡くなられるまで会長を務められていた「東アジアの古代文化を考える会」に40年ほど前から参加し、以来、現在まで研究成果を「古代文化を考える会」同人誌に寄稿されて来ました。それ以外に著書は11冊で、すべてホームページ(tsukudaosamu.com)で全文見ることができます。

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<講演会の最初に>

 講演の最初、「歴史研究」のあり方についての考えを6点にまとめて示しました。(詳しくは、ホームページのトップページ参照)古代の情報は少なく、多くの情報を集める必要があり、検討もしないで「偽書」として排除してはならないこと、仮説(理論)は、検証されなければならないことなどを強調されました。誰でも分かる例として、日本書紀皇極天皇即位前紀元年正月の記事を挙げました。舒明天皇の葬儀に際して、百済に派遣されていた「阿曇連比羅夫」は百済の弔使と共に筑紫に帰って来た。その後、葬儀に仕えたいので、先に「駅馬に乗」って、「独り」で筑紫から来た、と書かれている記事です。実際、もし都が大和にあるのなら、筑紫から「駅馬に乗」っていくことはできない。都は、筑紫から「駅馬に乗」っていくところ、即ち九州にしか在り得ない。このようなことが、全く検討されずに、当時都が大和にあると信じられている。
 佃先生は、今回分の23ページのレジュメを全員に配布し、できるならクリアファイルを用意し、これからのレジュメもファイルしていき、一緒に勉強していってほしいと語られました。第一回のテーマは「日本人の起源と倭人の移動」、第1章 日本人の誕生、第2章 倭人(天氏)の移動、第3章 倭人(天氏)と箕子朝鮮、の構成です。

f:id:kodaishi:20190609204807j:plain<第1章 日本人の誕生>

 ここ40年程でDNAの解析が急速に進み、その成果が古代史に大きな影響を与えている。最初に基本的なことを確認し、母から娘に伝わるミトコンドリアDNA、父親から息子に伝わるY染色体DNAのハプログループに触れ、日本語のルーツを日本人の遺伝的ルーツから探ろうとする言語学者松本克己氏の研究から、Y染色体DNAのハプログループについての分析を紹介する。また、最近の核DNA分析についても考察し、現代日本人の8割が弥生人のDNAであるとしている。
 九州地方の弥生人の人骨を3つのタイプに分類した松下孝幸氏(形質人類学者、医学博士)の研究も詳しく紹介し、3つのタイプ(A)北部九州・山口タイプ、(B)西北九州タイプ、(C)南九州・南西諸島タイプ、についても詳しく特徴を述べた。

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<第2章 倭人(天氏)の移動>

 中国の古文書『魏略』、『論衡』をもとに、紀元前1200年ごろに、「倭人」は中国の呉地方に居たことが示される。『史記』の記事から、「呉越の戦い」によって、呉は越に敗れて滅亡し、呉の人々は北方に逃げ、やがて東表地方に至る。
福岡県や佐賀県の遺跡から発掘された甕棺墓の中の人骨は、弥生時代に大陸から渡来して来た人々(渡来系弥生人)のものであり、上の分類では(A)である。これが、前漢時代の中国東表地方の人骨のタイプに酷似しているとする、松下孝幸氏の研究を揚げている。また、約2千年前の中国東表地方から出土した人骨と渡来系弥生人の人骨のDNAの配列が特定の部分で同じ人がいるという、研究にも言及する。
 『契丹古伝』の記事から、古代「辰」の中に倭人がおり、この中に「天氏」と「卑弥氏」がいることが分かる。「天氏」はやがて北部九州に渡来する渡来系弥生人の氏族であり、「卑弥氏」は卑弥呼が属した氏族である。

<第3章 倭人(天氏)と箕子朝鮮>

 中国古代殷王朝の宰相である「箕子(きし)」は、殷滅亡後、渤海沿岸に箕子朝鮮を建てる。『契丹古伝』に、倭人(天氏)は殷と姻を為す、と書かれている。これは、倭人(天氏)が東表地方から渤海沿岸に移動して、箕子朝鮮と婚姻(混血)していることを示している。
 殷墟の人骨と渡来系弥生人の人骨が著しく近いと述べている著作も示される。
 殷では、甲骨に穴を開け、火箸を突っ込んだひび割れの形から吉凶を占う「亀卜法」と呼ばれる占いが行なわれた。『三国志倭人伝で、倭人は骨を灼き卜い、その辞は亀法のごとし、と陳寿が述べている。この占いは、記紀にも出てくる。渡来系弥生人である倭人(天氏)が、箕子朝鮮から学んだからである。倭人(天氏)は、東表地方から渤海沿岸を経て、北部九州に渡来する。このことを、様々な資料や文献を根拠に示したのが第1回の講演内容である。

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日本古代史の復元 -佃收著作集-