<日時> 2023年(令和5年)6月4日(日)午後1時~4時
開場:12時45分
<場所> さいたま市宇宙劇場 5階集会室
JR大宮駅西口から徒歩3分
<テーマ> 上宮王権と法隆寺
<概要>
552年から北部九州は「阿毎王権(『隋書』の俀国)」の時代となり、西日本を支配する。 ところが6世紀の末になると北部九州では、「用明天皇の豊王権」や「上宮法王の上宮王権」が阿毎王権から独立、更に635年には天武天皇の父が阿毎王権から王権を奪って筑前宗像に「天武王権」を樹立するなど「王権」が乱立するという。今回は591年に肥前の飛鳥に建てられたという「上宮王権」と上宮法王を祀る寺であるという「法隆寺」についてお話しいただきます。
「上宮王権」の王統は上宮法王-殖栗皇子-舒明天皇-皇極天皇と続くが、649年皇極天皇は天武天皇の父によって王権を剥奪される。それを隠すため『日本書記』の天皇の系譜は書き換えられているのではという。即ち「豊王権」を「上宮王権」と合体させ、「上宮法王」を抹消して「用明天皇・推古天皇」を「上宮王権」の天皇に仕立てる。こうして聖徳太子は用明天皇の子になる。「天智王権」は継承しているとするために「天武王権」を抹消し、天武天皇は天智天皇の弟にする。日本の歴史は複雑に書き変えられているという。
法隆寺に関しては、金堂の釈迦三尊像の光背に、「願の如く釈迦尊像幷びに侠侍及び荘厳の具を造り竟る」とある。釈迦三尊像は上宮法王が崩御した後に法王の成仏を願って作られている。「法隆寺」は聖徳太子ではなく、「上宮法王」を祀る寺であるという。
法隆寺は670年の斑鳩火災の後に再建されたということになっている。しかし、年輪年代法により、五重塔の心柱は594年に、金堂の中央の天蓋の木材は609年に伐採されていることが判明している。釈迦三尊像も火災にあった痕跡はない。法隆寺は新しく再建されたものではないという。 この時代の輪郭を掴むことは容易ではない。多くの「説」に触れ歴史を学ぶ一助としたい。
<講師> 佃收先生
<参加費> 700円
※ 参加方法については、下の「埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会」のHPを参照ください。