第11回古代史講演会のご案内

<日時>  2023年(令和5年)9月3日(日)午後1時~4時

       開場:12時45分

<場所>  さいたま市宇宙劇場 5階集会室

     (さいたま市大宮区錦町682-2 JACK大宮ビル内)

       JR大宮駅西口から徒歩3分

<テーマ> 天武王権

<概要>  

 天武天皇の父、天武天皇、それに高市皇子の即位についてお話しいただきます。

 「天武天皇の父」は歴史から抹殺されていますが、「天武王権」の基盤を確立するとともに「日本の律令国家」の基礎を築いた重要な人物であるという説です。

 「天武天皇の父」に当たる人物が「阿毎王権」から「王権」を奪い、635年筑前「宗像」に「王権」を樹立する。天武王権が「阿毎王権」の上に君臨して「王権」を樹立できたのは、天武の父が「宗像」に降臨した「天氏」の子孫で、「阿毎王権」(物部氏)の君主筋に当たっていたからではないかと考えます。後に百済の要請に応えて唐と戦うことを決意すると、「宮地岳城跡」に遷り、本陣を構えた。これが『日本書紀』に書かれている「朝倉宮」と思われます。

 649年には「天武天皇の父」は「上宮王権(皇極天皇)」の王権を剥奪し、支配下に置く。「斉明」はその支配から逃れるため656年「大和の飛鳥」へ移る。

 661年7月「天武天皇の父」が崩御すると天武が即位する。663年9月の「白村江の戦い」で敗北したのは天武天皇で、斉明や中大兄ではない。この敗北で天武天皇は唐に筑紫を割譲して難波に移る。唐は665年に筑紫都督府を設置するが、その後高句麗との戦いに苦戦して兵を引きあげ、667年筑紫都督府を廃止して筑紫から去る。

  一方、中大兄は668年に「天智王権」を樹立する。671年12月に天智天皇が死去すると大友皇子が即位する。 『日本書紀』は天武天皇天智天皇の弟にしているが、「王権」が異なり、兄弟ではない。672年の「壬申の乱」は「天武王権」と「天智王権」の戦いで、天武天皇が「天智王権」を伐った事件である。

 686年9月天武天皇崩御する。『日本書紀』では「高市天皇」を抹殺し、「持統天皇」が即位したことになっているが、天武天皇は同年7月天皇位を高市皇子に譲位している。「朱鳥」[686年7月~694年12月]、「大和」[695年1月~696年7月]の年号は高市皇子の即位を語っている。『万葉集』(巻二挽歌199番)では柿本人麻呂高市皇子を「わご大王」と詠っている。また、「長屋王家木簡」や「懐風藻」の日嗣の審議から、「高市皇子」は「高市天皇」であると考えられる。

 720年『日本紀』が完成するが、729年長屋親王の変で天武王権の血筋が絶えると、その後登場する天武天皇の血が入らない光仁天皇により『日本紀』は改変され、天智系の歴史書としての『日本書紀』が編集される。それが「日本の歴史」となっているのではないか、とする。

<講師>  佃收先生

<参加費> 700円

※ 参加方法については、下の「埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会」のHPを参照ください。

  日本古代史の復元 -佃收著作集-

  埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会 junosaitama