第12回古代史講演会のご案内

<日時>  2023年(令和5年)11月18日(土)午後1時~4時

<場所>  埼玉県立歴史と民俗の博物館 講堂

       東武アーバンパークライン大宮公園駅下車)

<テーマ> 天武王権とその業績

<概要>  

 前回の講演会で、次回のテーマは「高市天皇と長屋親王」の予定であるとお伝えしました。しかし、その前に「天武王権とその業績」のテーマで「天武王権」について詳しく話していただくことにします。

 

 「壬申の乱」は天武王権が日本列島を統一するために天智王権を伐った覇権争いの戦いで、635年に「天武天皇の父」が樹立した天武王権は約40年後に天下統一を果たした。この「壬申の乱」の結果、中央豪族の官僚化や地方支配体制が進展し、中央集権国家が成立した。天皇という称号、律令という法体系が成立するなど日本国家の基礎作りが進んだ画期的時代であった。この時代の業績の一部を記せば以下の通りである。

 

○国書の編纂-『古事記』、『日本紀』-

○「八色の姓」(天皇を中心とする姓の新秩序)の制定、飛鳥浄御原令の編纂、戸籍の作成

○防衛施設の築造、唐の都を参考にした新しい都「藤原京」の建設、唐の「開元通宝」を手本とした最初の貨幣「富本銭」の鋳造、神道及び仏教の保護

 

 『古事記』は「壬申の乱」で手にした皇位継承の正当性を主張しようとするものである。また、720年に成立しているのは『日本書紀』ではなく、『日本紀』である。『日本紀』は天武天皇が企画した天武王権の歴史書であった。『日本書紀』には「高市天皇紀」はなく、天武天皇の次は天智天皇の娘の「持統紀」にすり替わっている。『日本書紀』は高市天皇高市皇子にし、「天武天皇の父」を斉明天皇にすり替え、天武天皇天智天皇の弟にして、「天武王権」の業績を「天智王権」の業績にすり替えた。

 

 『日本書紀』の成立は775年~791年頃のことであるという。『日本紀』を廃して、『日本書紀』を作ることを考えたのは光仁天皇であろう。

 「日本の歴史」は『日本書紀』によって大きく曲げられている。

 佃先生はその著作で「天武王権」の記述に多くのページを割いている。どんな話が聞けるか興味深い。

<講師>  佃收先生

<参加費> 500円

※ 参加方法については、下の「埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会」のHPを参照ください。

  日本古代史の復元 -佃收著作集-

  埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会 junosaitama